昭和42年10月19日 夜の御理解


 信心を分かるということは、本当のことを分かるということである。それを真理とも言い、本当のこと、これが本当だ、あれが本当だというけれども、成程嘘ではないかも知れんけれども、本当の本当というのは真理出ある。
 信心とはその真理の追究をしていくことだというております。その本当なことの中にです、死んだからというて神のお世話にならん訳にはいくまいが、死に際にもお願いをせよとおっしゃる。死んだからというて神のお世話にならん訳にはいくまいが、死に際にもお願いをせよ。神とは勿論天地宇宙、天地金乃神様のことなんだね。これはいや自分は金光様の信心しよらんと言うても、ね。金光様の信心はしよらんけれども、天地のご厄介にはなっておるということで、その金光大神はその天地の御恩徳を説かれた。お世話になっておるという訳柄を説かれた。だから、天地の御神徳御神恩に感謝し奉る生活をお道の信心生活とこいうわけである。天地の親神様のお世話にならん訳にはいくまいが。死に際にもお願いをせよ。死んだからというてもう神様のお世話にならんでいいということはない。だから、死に際にもお願いをせよ、ね。
 これは私共が信心させて頂いてほんとに分からなければならない。これはほんなこと神様の実在ということ。この天地の親神様の働きということ。その神様の実在を分からせてもらうの、そこから私は次に霊魂不滅ということを信じなければいけないと。私共の魂の行きどころ、私共の魂のありどころ、しかもその魂の助かりどころ。ですから、魂が助かっておらなければ行けないということが分かります。ここもやはり本当なこと。これはもう真理である。真実である。これはもう信心を極めれば極めた程ここんところだけは、もう何宗何派だって同じこと言うてきておる訳です。
 霊魂不滅ということは、これは今は科学でもそれを実証することが出来た。出来るという時代なんですね。だから皆さん信心とは魂の清まり。ところがここなんです、ここには信心の稽古に来る所だとおっしゃるのは、自分の心が助かられるところのここは稽古場なんだ。魂をいよいよ清めた上にも清めていくところの、なかなか何十年間ついてきたアカですから一辺には落ちらんけれども、本当なことを聞かせて頂く心が開けて来る。有り難うなってくる。有り難うなってくるということが、心が清まってくる証拠である。天地の親神様のお世話にならん訳にはいくまいが、と。そういことなんです。
 そこで、死に際にもお願いをせよとおっしゃる、死ぬるということは眠るようなものだともおっしゃる、ね。
 もう今日は椛目の内田さんところの御主人のお立ち日でありました。だいたいは十月十六日御大祭の日でございました。椛目の御大祭、椛目で御大祭を仕えておりました日に亡くなられました。ですからもう永逝、いつでも椛目の御大祭が十六日である限りいつでも御大祭の日が内田さんのお立ち日であるから、忘れようとしても忘れることが出来ない日に亡くなっておられます。
 まあ今日は合楽会でございますから合楽の人達もご承知であったかも知れませんが、いわゆる有名な方でしたからいろんな意味で内田ケンゾウさんと申しました。もう実にもうお腹の美しい人でした。もう美しすぎるような人でした。もう自分とこの食べ物がなかったっちゃ、例えば、もう物貰いなんか来るとですね、お弁当箱にご飯つめて持たせてやらなきゃでけんでした。                              私共が参りますと、その当時私タバコを頂いておりましたがタバコを薦められる。そして帰りはそのそのタバコをしゃっち持たせてやらなければでけんという人でした。もう実にお腹のきれいな人でした。美しい人でした。もう本当に私この頃開教式を奉仕させて頂きます二十名余りの霊様の慰霊祭を致しました。中にです、別に総代をしとられた訳でもなからなければ、役員をしておられた訳でもなかった。
 けれども、やはり椛目が合楽がこうしておかげを頂いてくる為のやはり礎になった人だとこう思うとる。そりゃもう椛目の大坪の家の為にほんとに心から親切にして下さった方なんです。ですから、この頃の一日の慰霊祭の時には内田ケンゾウさんの御霊も慰霊祭の中にここのお広間前に功労があった御霊としておかげを頂いた訳でございますね。一例を申しますと私の妹婿の亡くなりました時なんかは何にもない時分です。私の修行の真っ最中の時でした。お棺を作るのに釘がないという時代でした。もうほんとに目も当てられんという時代でした。火葬場に自分で一人で引っ張って参りましたけれども、そのお棺を作る釘が無いのですよ。そん時にお棺を作って下さったのも内田さんでした。近所の門内の方達がですね、ほんとに病気、胸の病気でございましたから、もう寄り付かれんのですよ。それでもうらめしいも撤去もなしに御用して下さったのも内田さんでした。
 私は火葬場にリヤカーで引っ張って車力で引っ張って参りました。そしたら、あの時分割き落とし、製材所の割き落としを炊きもんで持って行きましたら向こうのオンボさんが言うことがこげなもんで燃やさるるもんの、割り木を探してきなさいと。ところが割り木がないのですよね。そしたら私の方にこんな大きな根っこがあったんです。木の根っこがあったんです。前から誰も割りきらなかったんです。そしたら内田さんがそれを一生懸命で割って作って下さったんです、割り木を。それが内田さんでした。そういう意味でもうほんとに、私の云わば難儀時代、云うならば修行時代に非常に功労があった。云わば霊様なんです。ですから、この霊様のことは私は忘れられません。ですから、功労者として私は総代もしてなかった。役員もしてなかったけれども、私は功労者として霊様の列に加わって頂いた訳でございましたがね。丁度亡くなられる日も、迄は大変な病気で休んでおられました。ところが、その朝から非常に爽快なんですね。お母さん達は一生懸命信心しておられました。自分も信心しておられましたけれども、ある病院にかかっておられましたがね、同じ同町の病院にかかっておられましたが、その日はとても気分がいい。そりゃもう、その時分でもですね。とにかくもうやはり、お広前が割れるようなお参りでした。あの時分から、ですから下には入りませんから二階にいっぱいちいう時代でした。ですから、二階から下りてくるですね、あの姿が今でも目にすがっているのですよ。一番お広前の向こうの隅が二階から降りてくるところの入り口でした。だから、座るものはそこに立っておれたんです。そしてそこに幕が、紅白の幕が下がっておるからそこから出入りする人、たんびに這ってからこうこうと開けてやりよんなさいます。私がお説教させて頂いておるその隅の方に御用をしておいでられる訳なんです。
 いやあ、内田さんはあげん悪かち言いよんなさるのに出て来てあると思いながら、お説教させてもらいよりました。そしてから、その後お説教頂きながら、立ちながらですもんね。座られませんから、目に涙をいっぱい溜めてその御理解頂いておられました。丁度椛目の宮崎さんは甥になりますが、帰り道々帰りながら青年会長なさっておられました宮崎友足さんですね、その宮崎友足さんと一緒に帰られた。お広前から自分の家まで帰る道々に、もう友足や、今日ごと有り難かったというて帰られたそうです。そして今迄何も食べられなかったんですね。その食べられなかったのが御直会のお赤飯を頂いてから、今日初めて食べられた。俺はこれでおかげ頂くとじゃなかろうかと言うて友足さんと話して帰られた。同時に俺は今日ごと有り難かったことはなかったと言うて帰られたんです。そして、お祭りが済んだ。私共が御直会を頂いとる時に内田さんところから、お父さん急変ということを言うてまいりました。もう直会が頂き終わる、もう家内がそのまま走って行きましたが間に会わんぐらいに亡くなられました。しかし私は皆さんおかげ頂かにゃいけんと思いますね。皆さんがね医薬だ、医学だ、万能でありますけれども、そりゃ病気する時は医者だというけれども、医者だけではいかんことがありますよ。もう俺はこれでおかげ頂いたっちゃなかろうかとそげん松村さんが参って見えた時聞いて下さい。その通りでした。おかげ頂くとじゃなかろうか。今迄食べられなかったご飯が食べられた。しかも今日ほど有り難かったことはなかったと言うて帰られた。後にそのかかりつけのお医者さんが見えられた。そして注射を打たれてから、まあだ椛目出はずれまでしかいかっしゃるめという時、もういけなかったんですから。これは明らかに注射のショック死ですよね。そりゃ医者は決して自分の打ち違いはないと言い張られたそうですね。けれども、そんな筈がないじゃないですか。今まで食べられなかったご飯が頂けるようになり、今日程有り難いことはない、有り難い有り難いと甥と二人で帰って間もなく医者が見えた。注射をしたとたんに容体が変わったんですね。ですから、こりゃ間違いなしに私は
ショック死だと思うんですけれどもです、ね。それでも私が今日言うように、私共人間ほんとに助かるということは死に際にもお願いをせよということは、死に際にまでも有り難くあれということなんです。内田さんはそういう意味合いにおいて、成程ああいう美しい人であった。ああいうきれいな人であったから亡くなる際の際まで美味しいものを今迄食べられなかったものが食べられる、しかも自分の心の中にはです、こげな有り難かこつはなかったというて今日ほど嬉しいことはなかったと言うて帰られた。その嬉しい、有り難いというそのままお国替えされたんですけん、こげな極楽行きはあるはずがないです。 情けは人の為ならず、ほんとに情け深い人でした。私は今日の式年祭、仏教で云うならばご法事、年季、仏さんの年季、お道では式年祭と申します。そういう式年祭ではございません。ただ、お立ち日である。だから、いつも大祭の前後にはこうやって慰霊祭をなさる訳なんです。式年祭がくるとほんとに式年祭をやはり開式してございますからなさいます。私は今日有り難いと思うたことはですね、御神前に出らせていただきましてね、今日内田ケンゾウの霊の立日を十六日にしなければなりませんでしたけれども、御大祭でございましたから今日家族の者が集まってここでおかげを頂きますといことを、報告申し上げましたらですね。これは神様の言葉というか、霊様の言葉というか人間の言葉に分かりやすく訳して云うならばですね、
 あーあれのことか、あれのことはもう十六日におかげをやったとこういう。十六日の御大祭の日に家族中の者が一生懸命神様の御奉仕をしておった。いかにですね、霊様だけ大事にしたからというて、御法事をしたからというて、霊様が助かるということではないことが分かりますね。あのですね、お水一杯でも天地の親神様のお許しを頂かなければ飲まれんのですよ。ボタ餅ひとつだって天地の親神様のお許しを頂かなければ、いかに仏様の前に堆くボタモチをお供えをしてもそれを霊様が食べられる筈はないのです。仏教で云うならばです、いうなら、ね。仏教の開祖であるところのお釈迦様、又は如来様、天地の親神様に対する教祖様でしょう。私は仏教のことはよく分かりませんけれども、そのお釈迦様の云われた道を守らせて頂いて如来様のお心に添うような行き方、その如来様が喜んで下さるような在り方にならなければ我情我欲非道なことをしておる。さあ先祖祭だけをどんなに何千万円の例えば金をかけて全宗をあげて花に埋まるようなお葬式を致しましても、その霊様が助かっとるとは言えないということです。
 お道で云うならば天地の親神様のお喜び頂けるような在り方にならせてもらい教祖の神様のお喜び頂けるような私共にならせて頂くことに精進さして頂く。まして今日は主人の立日だけれども、御大祭だから一家中の者が大祭の御用に一生懸命打ち込んでおるのですから、これを霊様が見て下さらんことがないじゃないですか。あ、あの氏子か、あの霊はもう十六日におかげをやってあるということでございます。驚きましたね。私は。ね、その上に云わば今日の慰霊祭、なおこれを又喜ばないはずがない。だからこれから内田さん立日にはほんとに一生懸命家族の者が霊様を大事にすると思うと、思う程打ち込んで神様の御用をしよりゃ霊様神様がおかげを下さるということが分かります。
 これは、今日の霊様のお祭りの奉仕をさして頂いてから成程死んだからというて神のお世話にならん訳には行くまいが、死に際にもお願いとせよとおっしゃる事が尚詳しく一段とですね、分かった気が致します。
 私共がこれは私共でもそうですよ。天地の親神様のお許しを頂かなければお水一杯が頂けんのですよ。皆さんだってそうなんですよ、ね。
 或る、久留米市ですよね、久留米市が全市を挙げてお葬式をしたといったお葬式があったんですよね。数年前、ブリジストンの社長ですか、副社長ですかね、亡くなられました後、それこそ、久留米全市が花輪に埋まった。ところが、その方が亡くなられた。どういうことであったかというと食道癌である。それこそ、ひもじいひもじいで米一粒通らなかった。これで助かる筈がないじゃないですか。皆さん、ね、もうほんとに餓鬼道とはこの世にあるということが分かります。幸せはこの世にあるのです。この世に有り難いという心を開かずしておいてあの世で有り難い心が開かれる筈がない。そういう意味合いにおいても、私共がいかに霊を大事にせんねばならないか、霊の清まりを願わねばならないか、魂が清まってまいりますと自ずと有り難くなってくる。その有り難いという心が死生の安心というものが生まれてくる。死に際にもお礼を申させて貰うような心も生まれてくる。死に際にもお願いをさせて頂かなければならないということが、私は素晴らしいお道の一つの死生観ともうしましょうかね。死に生きを通しての神様であるということが分からせて頂くのでございます。
 今日はそういうように内田さんところの慰霊祭を奉仕させて頂いて只今のようなことをお互い分からせてもらい、只今のようなことを分からせて頂きその霊様に云わばあやからせて頂いた訳でございます。 どうぞ。